大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

盛岡地方裁判所 昭和34年(ワ)16号 判決

原告 酒井良雄

被告 国

代理人 青木康 外三名

主文

一、被告は原告に対し、金三〇万円およびこれに対する昭和三四年一月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金銭の支払をせよ。

二、原告その余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、これを五分しその四は原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

四、この判決は、原告勝訴の部分に限り、金五万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事  実〈省略〉

理由

一、(当事者間に争のない事実)

原告が昭和二七年一二月六日午後九時頃より花巻市大字南万丁目第一四地割六六番地の四(旧稗貫郡花巻町大字里川口第一一地割一〇三番地)飲食店「姫の家」こと押切正吉方で飲酒して、翌七日午前一時二〇分頃同家に放火した嫌疑で、花巻地区警察署(現花巻警察署)において、国家地方警察岩手県巡査部長菊池忠一らの取調を受け、同日午前六時三〇分頃緊急逮捕手続により逮捕され、同月九日身柄を勾留されて引続き取調を受け、同月二七日盛岡地方検察庁検察官大西秀夫より別紙公訴事実のような放火未遂の罪名で起訴されたこと、審理の結果、盛岡地方裁判所は、昭和二八年一〇月二九日有罪の判決を言渡し、さらに控訴審である仙台高等裁判所も昭和二九年四月二七日有罪の判決を言渡したので、原告は、最高裁判所に上告したところ、同裁判所は、昭和三〇年一二月二六日原判決を破棄差戻し、差戻を受けた仙台高等裁判所は昭和三二年一〇月一四日無罪の判決を言渡し、右裁判は確定したこと、原告は、警察官菅梧郎、検察官大島淑司および裁判官上野正秋に対し、前記放火の事実を自白したこと、警察官菊池忠一は、昭和三〇年六月二七日盛岡地方検察庁検察官のした不起訴処分に対し、告訴人原告より付審判の請求がなされ、昭和三一年八月二七日盛岡地方裁判所は、審判に付する旨の決定をなしたうえ昭和三二年一〇月八日被告人菊池に対し、特別公務員暴行罪で禁錮八月、執行猶予二年の判決を言渡し、控訴審である仙台高等裁判所は昭和三四年一月一三日控訴棄却の判決を、また、上告審である最高裁判所は昭和三七年三月一三日上告棄却の判決を言渡し、同人の有罪が確定したことは、いずれも当事者間に争がない。

二、(警察官の違法行為)

そこでまず、警察官菊池忠一の違法行為の具体的態様について判断する。前記争のない事実に成立に争のない(証拠省略)によれば、警察官菊池忠一に対する特別公務員暴行被告事件につき、盛岡地方裁判所は、昭和三二年一〇月八日次のような事実を認定して被告人菊池忠一を禁錮八月、但し二年間執行猶予に処し、その後被告人より控訴、上告されたが、いずれも棄却となり、右有罪判決は確定したこと。右判決理由によると、「被告人菊池忠一は、昭和二七年一二月八日午前七時過ぎ頃、花巻市末広町四七番地花巻地区警察署(現在の岩手県警察花巻警察署)二階刑事取調室において、同月七日に同市内料亭姫の家方に発生した放火未遂事件の被疑者として緊急逮捕により同署に拘禁されていた、国鉄職員酒井良雄(当時二八年)を、同署の捜査係長警察官菅梧郎に下調べをするようにと命ぜられて取調中、同人が被疑事実を否認するや、丸椅子に掛けていた同人の頭髪を左手で掴み、右手拳及び手掌で同人の顔面をいずれも数回殴打し、なおも否認を続ける同人の頭髪を再び掴んで振り廻し、もつて捜査の職務を行うにあたり暴行をなしたものである。」との犯罪事実が認定されていることが認められる。

もとより、事実認定については、刑事判決で確定した事実が民事判決の事実認定を拘束するものではなく、民事裁判所は、自由なる心証に基づき係争事実の真否を証拠判断できるけれども、右犯罪事実を否定するに足りる強力な反対資料が存しないかぎり、結局右事実は真実なものと認定せざるを得ない。本訴において、証人菊池忠一は前記暴行の事実を全面的に否定する趣旨の供述をしているけれども、右証言は前掲各証拠および原告本人の供述に照らしてにわかに措信できないし、その他右事実をくつがえすに足りる有力な資料は存しない。また、原告本人は、菊池警察官が顔面を二、三〇回殴り、髪を掴んで引きづり廻しかつ掛けていた丸椅子より転倒させて原告の手足を靴で踏みつける等の暴行を加えて自白を強要した旨の供述をしているけれども、取調当時、隣室で警察官定例会議が行われていた等の前掲証拠に表われた外的事情に鑑み、右供述部分は多分に誇張されているものと推測されるので、たやすく使用できない。

しかして前掲各証によれば、原告は、前記暴行を受けて同房者より指摘される程顔面が赤く腫れ上つたこと、さらに逮捕された当時は被疑事実を否認していたが、菊池警察官の前記暴行を伴う厳しい下調べに対し、不本意ながら本件放火未遂の事実を自白し、当日午後引続き行われた司法警察員警部補菅梧郎の取調べに対しても、同様自白せざるを得なくなり、遂に第一回供述調書(証拠省略)が作成されたことが認められる。

三、(検察官の違法行為)

次に原告は、本件起訴について検察官大西秀夫に過失があつた旨主張するので、この点につき検討する。ところで、起訴事実について無罪判決が確定した場合といえども、直ちに当該起訴が要件を欠く違法なものであつたとはいえず、起訴時に有罪判決を受け得る可能性が客観的に存した限り当該起訴は適法といえる。そして右にいう有罪判決を受け得る可能性とは、訴訟条件を具備し、犯罪の嫌疑が十分で、有罪判決を期待しうる合理的な根拠をいうのであつて、単に主観的な犯罪事実の存在の可能性をいうのではない。検察官としては、送致を受けた事件についてその内容を検討し、訴訟条件の存在を確かめ、証拠を蒐集し、適確な証拠によつて有罪判決をうることができる確信をもつて、公訴を提起すれば職務上の注意義務を果したものといえる。

そこで、成立に争のない(証拠省略)を併せ考えると、次のような事実が認められる。

(一)  原告は、昭和二七年一二月六日午後九時ころ飲酒のうえ、飲食店「姫の家」こと押切正吉方を訪れ、さらに清酒六、七合を飲んだが、従前情交関係にあつた同家の女中高橋アヤ子に逢つたところ、同女が逃げ隠れ応接の態度が冷淡であつたので、これを追いかけ他の女中達に悪口を述べていた。原告は、酒癖が余りよくなかつたし、右「姫の家」の二階東端松の間で翌七日午前一時過ぎまで飲酒していたので相当酩酊していた。

(二)  本件火災は、右「姫の家」の二階西端の客室梅の間とその東隣竹の間との仕切りの四枚襖の内北端の一枚の中央部分から燃出したもので、襖自体に点火されたこと以外に発火の原因を考えられない。本件当夜竹の間は全然使用されず、火気も全くなかつたし、梅の間も午後一〇時以後は使用されず、発火当時右部屋にあつた火鉢に火気はなかつた。

(三)  本件火災を発見したのは、「姫の家」の女中高橋立子が二階便所の電灯を消すため上つた際のことで、立子はその際梅の間の前の廊下を通り、梅の間と廊下の境の襖が少し開いていたので、何気なく内部を見たところ、襖が燃出しているのを発見し、驚ろいて階下に降り急を知らせたものである。その襖は木と紙で作られた普通の襖であつて燃焼の速度もかなり速く、その襖が燃え出してから立子が火事に気付くまでの時間は極めて短時間のことと考えられる。そこで押切正吉が、すぐ二階へ駈けつけたのであるが、その時は右襖の火がかなり大きくなつていたので、立子が二階に上つた後発火したというような疑いはない。なお、右襖は手拳で突破られたうえ燐寸で点火された形跡があつた。

(四)  原告は、女中からカンバンだから帰つてくれといわれても帰らず、なおも酒を要求するので、女将(押切正吉の内縁の妻)サダが銚子一本を持つて立子とともに松の間に行き、しばらくその相手をしていたが、やがてサダは階下に降り、次いで立子も降りて、原告のみが残り、その後しばらくしてから原告は階下女中部屋で炬燵に当り、女中の藤原アイに制帽を投げつけたり乱暴した。そこには押切のほか女中三人が居り、サダは階下調理場に居た。原告が階下に降りてから四、五分後に立子が電灯を消すため二階に上つたものである。

(五)  原告が一人で二階に残つた後、階下に居た家人は、原告が二階で廊下を通り梅の間の方に行き、次いで松の間に戻り、それから階下に降りてきた足音を聞いた。

(六)  現場に遺留されていたという燐寸の軸木九本と原告が所持していた小箱燐寸三個の軸木とは同一種類のものであることが認められたので、襖の燃残り紙片とともに証拠物件として押収された。

(七)  原告は、前記のとおり司法警察員菅梧郎に対し本件放火の事実を自白し、続いて大島検察官に対する弁解録取書、上野裁判官に対する勾留尋問調書においても同様の自白をなし、担当検察官大西秀夫の取調になつてから、被疑事実を否認するに至つたが、原告が菊池警察官より暴行を受け自白を強要された旨の主張は、起訴後始めて事実を否認し自白調書の任意性を争うためなされ、起訴前取調べの段階には、かかる暴行事実の申告もその疑いも発見されなかつた。担当検察官としては、前記自白調書を除くその余の証拠から前記(一)ないし(五)の各事実が認められ、その状況から綜合判断して本件火災が原告の放火によつて発生したものと推測できるし、これと符合する原告の前記自白および証拠物に照らし、相俟つて本件放火の事実を確信し、否認のまま起訴するに至つたものである。

(八)  もつとも、原告は二階から降りて来た後も、階下女中部屋で炬燵に当つており、火事が発見されてから、押切らと共に二階に上り、同人の消火に対し、「もつと燃えればよかつた。」とか「よく消した、えらい。」等と放言し、その間何らあわてることなく平然としていた。その後原告は一旦押切方を立去つたが、再び忘れ物を取りに戻り、階下で高橋アヤ子に下駄を投げつけて乱暴し、止めに入つた押切正吉と取組み合いの喧嘩となり、電話連絡を受けて駈けつけた猪狩警察官らに家へ送り届けられるなど、その行動には放火をしたものとすると、常軌を逸している点が甚だ多いが、当時原告は前記のとおりひどく酩酊していたのであるから被疑事実認定上の妨げとはならなかつた。

ところで本件のような放火は、ほとんど物的証拠が焼失し、犯人の自白以外に事実の直接証拠を求めることは困難であるが、一般に放火は否認犯ともいわれ、たとえ起訴前に自白しても後日公判において自白を飜えすことが多いので、検察官としては自白が否定されることを予想して予め動機、手段、方法等につき情況証拠を十分に蒐集してから起訴するのが通常である。本件においても、担当検察官は押切夫婦、女中ら参考人取調べ等の結果認められる前記各事情から、犯罪事実を推測でき自白調書と相俟つて公訴事実を認定できるものと考え、否認のまま敢てこれを起訴したものであつて、前記自白調書のみを軽々しく信用したものとは考えられない。また、前示認定のとおり、起訴当時検察官において、自白調書の任意性につき疑をさしはさむ余地はなかつたのであるから、これが任意性の調査を怠り、自白を過信した過失があるものともいえない。(この点に反する原告本人の供述部分は、前掲証拠に比照してにわかに措信できない。)

してみると、本件において、前記自白調書の証拠能力を肯定するかぎり、第一、二審(差戻前)有罪判決の認定するとおり、本件犯罪の成立する見込は十分あつたのであるから、本件公訴の提起につき大西検察官に過失があつたということはできない。

なお、前記自白調書の任意性、真実性が否定されれば検察官は、結局間接証拠のみにより犯罪事実を立証せざるを得ないので、さらに証拠を蒐集し、事実を検討しなければ、本件を起訴できたかどうか頗る疑わしい。このことは、成立に争のない(証拠省略)の判示するとおり、本件において、(1)原告が二階から降りた後、高橋立子が二階に上るまでの間に、家人のうち誰かが跡片付その他なんらかの事情で二階に上つたのではないか。当夜誰が二階松の間の跡片付をなし、消灯したのか。(2)原告が唯一人二階に残つた後、階下にいた家人が階上にある原告の動静をはたして明瞭に看取しえたかどうか。(3)本件放火の動機および縁因につき高橋アヤ子の供述が信用できるものかどうか。(4)襖の発火時間、被害状況から考えて、原告が二階から降りる前に点火することが可能かどうか。(5)現場に遺留されていたと称するマツチ軸木がはたして本件放火に使用されたものかどうか。(6)原告を真犯人とした場合、酩酊していたとはいえ、その犯行前後の言動が余りに不自然ではないか等の諸点につき、合理的な疑をさしはさむ余地は十分にあつたのであるから、検察官としては、真偽を明らかにするためこれらの点につきさらに捜査を遂げたうえ起訴、不起訴を決定すべきものといわねばならない。しかしながら、すでに認定したような本件起訴当時の事情に鑑み、大西検察官がこれらの点につき捜査を遂げなかつたことをもつて、直ちに同検察官に過失があつたものとすることはできない。

したがつて、大西検察官に違法行為があつたことを前提とする原告の本訴請求は理由がない。

四、(被告国の責任)

原告が菊池警察官から受けた前記暴行による損害は、同警察官が職務を行うにつき、故意に基く違法な行為により生じたものであることは明らかであるところ、同警察官が当時国家地方警察花巻地区警察署勤務巡査部長として、被疑者取調べに際しなしたものであることは当事者間に争がないので、被告国は、国家賠償法により被告国の公権力の行使に当る公務員である右菊池警察官の不法行為に基く損害を賠償する責任があるものといわねばならない。

五、(消滅時効の抗弁)

ところで、被告は消滅時効の起算点につき、原告が警察官から暴行を受けたとき直ちに加害行為者、損害およびその行為の違法を当然知つたはずであるから、行為直後から時効が進行する旨主張するので、この点につき判断する。

国家賠償法に基く損害賠償の請求について、その時効期間の起算点である「損害を知る」とは、被害者が単に損害の発生を知るだけでなく、加害行為が不法行為であることを認識した時期と解するを相当とする。そうすると、本件において原告が警察官の違法有責な暴行およびこれによる損害発生を主張するに足る認識をもつに至つたのは、早くとも菊池警察官が第一審の刑事裁判で有罪の宣告をされたとき、すなわち昭和三二年一〇月八日というべきである。それ以前、公判において原告が右暴行の事実を主張していたことは明らかであるが、第一、二審有罪判決で否定され、また同警察官を告訴しても不起訴処分に付され、結局右主張が取上げられなかつたことから考えれば、原告は前記判決により始めて同警察官の違法行為を認識したものといわねば、余りに酷な結果となる。しかして、原告が本訴を提起したのは昭和三四年一月二〇日であることは記録上明らかであるので、未だ消滅時効は完成していない。したがつて、被告の抗弁は採用できない。

六、(損害)

原告の主張する財産的損害は、すべて原告が本件刑事事件に関し起訴されたこと、および休職にされたことによつて生じた損害であるから、前記菊池警察官の暴行と右損害との間には相当因果関係はない。

そこで進んで慰謝料について判断する。前掲(証拠省略)の結果によれば、次のような事実が認められる。原告が前記暴行によつて受けた身体的損傷は軽微であるが、原告が菊池警察官の右暴行により自白を強要された直後、その影響下で菅警察官によつて第一回供述調書が作成され、続いてその翌日、翌々日大島検察官、上野裁判官に対しても同様の自白をせざるをえなくなり、その際作成された弁解録取書、勾留尋問調書が、右供述調書とともに後に公判において重要な証拠となつたことは否定できない。また原告の右自白調書の任意性が覆えされるまで約五年の歳月を要し、その間原告が多大の精神的苦痛を受けたことは容易に推測できる。(証拠省略)の各供述中、原告が右暴行によつて自律神経症等の疾患にかかつた旨の供述部分は、(証拠省略)の記載に照らしてにわかに措信できない。

しかして、原告が昭和一四年八月以降国鉄職員として勤務し、本件発生当時車掌を担当していたものであることは当事者間に争がないので、その職業、地位、年令、被害の程度等その他諸般の事情を斟酌し、当裁判所は、原告が受けた精神的苦痛に対する慰謝料として金三〇万円をもつて相当と認める。

なお、原告がさきに国より未決拘禁中の損害に対する補償として、刑事補償金九、九〇〇円を受領していることは原告の自認するところ、本件損害賠償請求権の原因たる警察官の暴行は、原告の未決拘禁中に生じたものではあるが、刑事補償の請求権と同一の原因すなわち抑留拘禁自体によつて生じたものではなく、右請求権と別個独立に成立するから、右慰謝料額より刑事補償金額を控除すべきではないと解する。

七、(結論)

以上説示のとおりであるから、原告の本訴請求は、被告国に対し、前記慰謝料金三〇万円とこれに対する訴状送達の翌日であること記録上明らかである昭和三四年一月三一日以降支払ずみまで民法所定年五分の遅延損害金の支払を求める限度で正当であるのでこれを認容し、その余の請求は理由がないのでこれを棄却する。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 土田勇)

公訴事実(省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例